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FU*REN*DO (いつもナチュラルに暮らしたい)

ナチュラルインテリア&ガーデニング&ハンドメイドなど日々を楽しく過ごすために・・・

命と向き合った日・・あの日から21年。 

今年初のバラ

(*^-^*)/こんばんは~♪
「FU*REN*DO」へようこそ・・・♪
遊びに来てくださって有難うございます。

今日は2つの記念日・・・
私のHP『Harmony』が本日7周年を迎えました。
手探りで始めたPhoto素材無料配布のサイトです。
早いもので7年が経ちました。


もう1つは・・・
実はタイトルにありますように21年前の平成4年5月8日
私は命と真正面から向き合い
この時間私は手術台の上におりました。

手術時間5時間…
もしかしたら目覚めることはないかも・・・
入院前に3人の息子や母や妹に感謝と別れの手紙を書きました。
(読んでもらうことはありませんでしたが・・・)

21年前の4月30日
私は突然のがん告知を受けました。
乳がんでした。
それもすでに手遅れ状態でした。

検査の前の触診の段階で
確実に先生の表情が曇ったことを私は見逃しませんでした。
確信しました。。。

開口一番「どうしてもっと早く来なかった・・・」と
「だって先生昨日気が付いたのですから・・・」

それから検査をして
結果を聞くために診察室に呼ばれて直ぐに
「明日、ご主人と来てください。
詳しいことはその時にお話しします」
その言葉に100%間違いないと…
覚悟はしていたのでその時は以外にも冷静でした。
だた瞬間的に息子のことを想いました。

「先生、夫は昨年6月急性心筋梗塞で他界しました。
長男はまだ19才だし私が全て受け止めるので
本当のことをお話し下さい」
そう返事するのが精一杯でした。

一呼吸してから先生は
かなり厳しい状態であること・・・
細胞診は危険すぎて出来ない
(悪性に間違いないから細胞診で全身に散る)から
いきなりの手術になるということ・・・
念の為に手術場に検査医師を待機させてその場で検査すること
再発転移の可能性が大きいこと・・・

手術は順番待ちの猶予はないので連休明けに即とのこと・・・

私の前で手術場に電話入れて緊急オペなので
連休明け一番近いところに入れてほしいと。。。
それで5月8日午後に決まりました。

夫の一周忌を控えていたので
それが終わるまで待ってほしいとお願いしました。
「死にたいのか!」と一括されて覚悟を決めました。

泣いてる暇はありませんでした。
その日のうちに妹が来てくれました。
(妹が来てくれるまでの間に私は泣くだけ泣きましたが。。)

翌日、術前検査と承諾書署名のために再来院となりました。

5日朝、入院。。。バタバタでした。
その時から母が泊まり込んで息子の世話をしてくれました。
毎日息子のお弁当を作り毎日病院へ通ってくれました。
今の私よりも少し若かったけど大変だったと思います。


術日、予定よりも長い手術時間に妹は心配したようです。
その日夜、目が覚めたときに
かなりの痛みと鉄板を載せたような重みに
何か乗ってるのかと看護師さんに尋ねたらガーゼだけだとか。。。
全摘出してるので軽くなってるはずなのにね…


翌日主治医の回診時にお聞きしたら
肋骨2本切ってその下のリンパを切除したと。

すでにリンパ転移があったのかとお聞きしたら
若いから進行が速いので念の為だ・・・
リンパにはいってないとの説明でした。

最初の診察の時、
先生の言葉を全て信じて従う約束をしましたので
その言葉を私は100%信じました。
その後10年間も。。。

腋の下のリンパも
血管切断してリンパをとり、その後血管縫合で
21年経った今も左脇の下の感覚がありません。


1か月半の入院でした。
入院中の抗がん剤治療・・・
その日は食事が出来なかった。

夫の一周忌法要のために
2か月の入院を2週間早めて頂いてその後は通院
人の数倍の傷のために傷口の回復が遅く
傷口へ皮膚移植しました・・・


7月に入って放射線照射・・・
通常10回というのを私は20回受けました。

助かっても一生抗がん剤の服用が必要といわれました。
当時最新といわれた抗がん剤は
効果も期待される反面副作用もありました。

服用を始めて1年が経過したころには
味覚、嗅覚が失われました。
辛いとか甘いとか程度は分かるけど何を食べてもおいしくない
薬を飲むために食べる…そんな感じでした。
食べるということが辛かったです。
(薬を止めて1年ちょっとくらいで味覚も嗅覚も戻りました)

現在はもっといい薬があるようです。。。

それからというもの再発転移の不安はありましたが
入院中に
お隣の部屋のお年寄りに言われた言葉で私は救われました。

人は病気では死ねないんだよ・・・
みんな寿命が来てからだからね。。。


その言葉に自分の寿命が
せめて三男が社会人になるまで…と祈っておりました。

今思えば私は夫に救われたのかも・・・
夫の命をもらったのかも・・・

半年ごとの検査は苦痛でした。
10年の間に2回ほど転移の疑いがあって
その時は何度も検査を受けました。

10年が来たときでした。。。
その時の検査が終わって診察の時

今回の検査で異常がみつかならなかったから
取り敢えず薬を止めようと…

よく今日まで頑張ったね。。。
医者がこういう言葉を使うのは不謹慎だがあなたの場合
奇跡といってもおかしくない・・・
医者としてこの日が来たことが本当に嬉しい・・・

実はあの時、
リンパにいってたから難しいと思ったと。。。

それまで私は先生や看護師さんの前で涙を見せなかったのに
その言葉に
先生が10年間も胸に秘めていてくださったことへの感謝で
涙が止まりませんでした。
先生の前で恥ずかしげもなく私は泣きました。


今でも1年に1度の検査は続いています。

私の寿命があとどれだけ残されてるのか
それは神様だけがご存知のこと
今を精一杯生きよう・・・
出来る時に出来ることをして生きようと・・・

今同じ病気で苦しんでいらっしゃる方、
またご家族の方がいらっしゃいましたら
どうぞ諦めないで・・・

起きてしまったことは消し去ることはできません。
しっかり受け止めて今を…
これからをどう生きていくか・・・
考え方次第で楽しい人生です。

46歳で急性心筋梗塞で逝った夫の命の分まで
私は生きさせてもらってるのかも…

いま私にできることを…
そう思って日々を過ごしています。
いまある命に感謝して・・・
いまを生きています。。。


長々読んでくださって有難うございます。
今日これを書くことを随分迷いましたが
今の私のすべて・・・
偽りのない私を知っていただくために書きました。


最後に女性の方に
バスタオルを使わないで…といい続けています。
発見したその日…
どうしたわけか未だに訳がわからないけど
毎日バスタオルで体を拭くのに
その日に限ってフェイスタオルを使いました。
それまでにないことでした。
今もって?ヾ(゜ー゜ヾ)^?。。。ン?

でもそのタオルで拭いたおかげで見つけました。
かなり大きなものでした
3×2.5×深さ1.5…ガンの大きさです。

若い方にも増えている乳癌…
どうぞ検診を受けてくださいね。
早期発見なら
必ず治るものですし医学も日々進歩しています。

私は素晴らしいドクターに出会えたことを
心より感謝しています。


クレマチス

トップのバラは夫と植えた20本のバラのうちの1つです。
退院後暫くして
母が私の生きる支えにと連れてきてくれた愛犬のために
2本を残して
バラを撤去した残りのバラが昨日咲きました。

白いクレマチス・・・
今年は沢山咲きました。




手術の日…続きを読むに・・・
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Posted on 2013/05/08 Wed. 17:43 [edit]

category: 思い出・記念日

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